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ある子供のお話


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化野(あだしの)念仏寺    嵯峨鳥居本重伝建下部と上部の境に位置し、その境内には8000を超える数の石仏や石塔がまつられており、極めて特異な風景を作り出している。これらは、化野に散乱していた無縁仏を集め、供養したものだ。都の西の果ての嵯峨化野は、古来より墓地として利用されていた。) 京都は鬼の住む町・・・と言われる由縁があるが、確かに血なまぐさい話は沢山あります。 今なお市内の所々に処刑場跡地が残っており、化野念仏寺もそういった無念の思いをまつられておられるのでしょう・・・ この化野念仏寺を奥に行くと、途中に桂川に沿って京北に通じる細い街道が有ります。(山を越えるような街道で、あまり知っている人はいないかも・・)昔の旅人が京都から抜ける道として使っておられたと聞きます。途中のどかな田園風景等が有り季節によっては癒される道なんですが、昔はその旅人を狙った盗賊がよく出没し、旅人を殺害してはその身を横に流れる桂川に落としていたと言われております。 その街道で怖い体験をしましたので、記載したいと思います。 中学生の頃の夏休みに悪友5人と自転車で、釣り?目的だと思いますが清滝に行った時です。 人を避けるように奥に行き、その街道沿いの岩場で落ち着いて釣りをしたり泳いだりしていた時にある事が・・・                                               (次回に続く・・へへっ)

京都とある子供


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  広隆寺  国宝第1号の弥勒菩薩(みろくぼさつ)像で知られる。 広隆寺東方の木島(このしま)神社は、通称、蚕の社(かいこのやしろ)といい、養蚕と織物の神である。 子供の頃の余談ですが、近くに右京区で一番古いと言われる太秦小学校が有り、その子供立ち5?6人ぐらいでしたでしょうか、この広隆寺の境内でかくれんぼをして遊んでいた時の事です。 学校が終わってからみんなで始めたので、おおよそ3時ぐらいかと思いますが、その内の一人が見つかりません、みんなで大声で名前を呼んで「出てきて?」と呼んでも現れません 夕方5時頃に親が迎えに来て、一人いないので大騒ぎになりかけた時です。境内の置くの方からその子が鳴きながら歩いて出てきたのです。皆が一斉に<どこに行ってたの!!>と聞くと<木の下に居て、もういいよ?って言ったら急に暗くなって夕方になりお母さんの声が聞こえたので、怖くなって出てきた>と言うが、無事に見つかった事を優先して、寝ぼけていたのだろうとその場は片づけました。でも皆でその木の辺りも探したし、大きな声で呼んでもいたし、寝ていたら気づくだろうと思うのだが・・ 本人は寝ていないという、ただ急に暗くなった・・と・・隠れてから見つかるまでの2時間が一瞬で・・・ だれも姿を見ていないという事が不思議なのだが・・・神隠し・・・はてっはてっ どう思われます・・・

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