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2008年5月アーカイブ

京都と少しだけ・・・


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(続き・・・)

水の中で、溺れている人の右の太股辺りを、人がしがみついているのがハッキリと分かったというのです。(想像して下さい、水中でぼさぼさ髪の人がこちらを見ながら足にしがみついている姿を・・)

男?子供?その辺は分からないというか覚えていないそうですが、手を引っ張る3人と水中から睨むようにバッチリと目が合ったと言うからさぁ?大変!!

皆が本当に必死(死にものぐるい!)で、言葉にならない声で叫びながら手を引っ張り、岸まで引きずってきました。

私は岸で待っていただけなのですが、皆は半べそをかきながら石だらけの岸に座り込みました。

1?2分の間沈黙でしたが、1人がしゃべり始めました。

<み、見たよな・・>  <何、あれっ>  <睨んでたよな・・・>  <目、鼻、口、耳、有ったよ?>  <今、いないよな・・>  <生きてた?>  <手があった・・>  <髪の毛もあった・・>  <怖いよ?>  <見てしもた?・・・>

と、単語ばかりで会話をしていましたので、私もおおよその流れは分かりましたが、やはり半信半疑で聞いていました。が、溺れた者の右の太股に5本の指で爪を立てた跡が、太股の外側と内側に足を挟むようにクッキリ跡が残っており、しかも爪の向きからして、溺れた者の足下から掴んでいる事が分かります。<足下・・・水の中からという事になり・・・他の者は水の上からてを引っ張っていた・・他に誰かが居たという事になり・・・>・・・嫌すぎる現実でした。

私は見なくて良かったのですが、見た者はしばらくの間忘れることなど出来ない事でしょう。

世の中には、知らない方が良い事が沢山あるかと思いますが、身をもって感じた瞬間でした。

その後何年かして、街の本屋で、「京都恐怖体験」等の怖い本に内容は違いますが、この川の事が書いてあり、他の人も似たような体験をされていた事がわかりました。

自分の中で裏付けがとれると、またぞっとします。

現実に居るのか解らんが、想像以外の行動をするものを見ると、人は恐怖感を覚えるという事がよくわかりました。

ちなみに助けに行って、直接見たという3人ですが、全員・・今はこの世におられません・・・

                                                                      <怖いお話その1でした>

 

 

 

京都と少しだけ・・・


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愛宕神社

愛宕神社は慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られ主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)
また、ほかにも罔象女命(みずはのめのみこと・水の神)・大山祇命(おおやまづみのみこと・山の神)・日本武尊(やまとたけるのみこと・武徳の神)を正面社殿に祭ってあります。
境内には末社として・・太郎坊社(猿田彦---->天狗さん) ・福寿稲荷社・大黒天社・弁天社があります。
徳川家康が信仰し、天下とりの祈願をかけた勝軍地蔵菩薩(行基作)巳年・辰年の守り本尊の普賢大菩薩をお祀りしています。

 

続き・・・

私一人がバーベキューでもしようかと,石や木を集めていそいそと着火の準備をしている時の事、暑かったのもあり、他の4人が川でハシャギ泳いでおりました。

この川は岸の方は緩やかな流れなのですが、川の中辺りは深く流れが急になっているので、4人は浅瀬の方で遊んでおりました。

内1人がバシャバシャと派手な水音をたてており、他の者は遊んでいるかと見ていたのですが、どうやら溺れている感じでしたので、あわてて他の3人が手を掴み引っ張り上げようと試みました。

<何やってんだか・・>とまだ足がつく場所でしたので、皆は薄笑いを浮かべながら手を引っ張っておりましたが、3人が手を引っ張っても岸に近づくどころか段々深く急な流れの方に向かって行くのが分かりました。<やばっ!>と必死になり岸に居た私にも<手伝ってくれ>と皆が声を出してきました。

その時です。

水の中で、溺れている人の右の太股辺りを何かが・・・

                                               続く・・・へへっ!

 

 

ある子供のお話


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化野(あだしの)念仏寺    嵯峨鳥居本重伝建下部と上部の境に位置し、その境内には8000を超える数の石仏や石塔がまつられており、極めて特異な風景を作り出している。これらは、化野に散乱していた無縁仏を集め、供養したものだ。都の西の果ての嵯峨化野は、古来より墓地として利用されていた。) 京都は鬼の住む町・・・と言われる由縁があるが、確かに血なまぐさい話は沢山あります。 今なお市内の所々に処刑場跡地が残っており、化野念仏寺もそういった無念の思いをまつられておられるのでしょう・・・ この化野念仏寺を奥に行くと、途中に桂川に沿って京北に通じる細い街道が有ります。(山を越えるような街道で、あまり知っている人はいないかも・・)昔の旅人が京都から抜ける道として使っておられたと聞きます。途中のどかな田園風景等が有り季節によっては癒される道なんですが、昔はその旅人を狙った盗賊がよく出没し、旅人を殺害してはその身を横に流れる桂川に落としていたと言われております。 その街道で怖い体験をしましたので、記載したいと思います。 中学生の頃の夏休みに悪友5人と自転車で、釣り?目的だと思いますが清滝に行った時です。 人を避けるように奥に行き、その街道沿いの岩場で落ち着いて釣りをしたり泳いだりしていた時にある事が・・・                                               (次回に続く・・へへっ)

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