カレンダー

« 2010年11月16日 »123456789101112131415161718192021222324252627282930

2010年11月16日アーカイブ

京都の不思議・・・


| | コメント(0) | トラックバック(0)

前回に続いて、京都の事をお話します。

 

京都観光と言えば清水寺が候補に上がってくるのですが、実はこの場所は昔は恐ろしい場所だっただそうです。

 

清水の舞台の下あたりは、昔は鳥部野という名称地で、平安時代頃に人が死ぬとこの場所

にうち捨てられたり(風葬)、死体を木に吊して、その肉を鳥に食わせたり(鳥葬)する場所から

この名称で呼ばれたそうです。

常に死臭が漂う為、清水の舞台は高く作られた・・とか・・

ちなみに、「清水の舞台から飛び降りる・・」とは、昔、何かの事情で、生きるか死ぬかで迷った人が、本当にこの舞台から飛び降りて、生きて頑張るか・・死ぬか・・

人生の振るいにかけた場所であるため、この言葉が残ったと言われております。

 

また、平安京時代は貴族が住んでいる町とは、御所を中心とした比較的狭い町だったそうです。

今の北区、東山区、南区、右京区などは野原、田圃、山、池、・・ばかりで、争いや死刑などで人が死ぬと、ポイッとその野原に捨てるのが普通だったそうで、当時は無数の死体が、野ざらし状態で放置されていたと言われております。

 

先程の鳥部野もそうですが、蓮台野・紫野・化野・・と言った野が付く地名は、大体がその風習の名残と言われております。

 

また、三条河原とかは常に死体が流れ着いてきたり、晒し首や処刑が頻繁にあった場所の為、掘ると何か出てくるかも・・と言われております。

市内を流れる川は、所々で処刑が行われて、川の水で刀を洗っていたらしいです。

 今では春になると川沿いに桜の木の行列が見事となりますが、その木の下には・・・沢山の・・・

 

そういう場所を何下に掘ると、何かしら出てくるかも知れませんね

昔、こどもの頃に嵯峨野の竹藪みたいな場所で、骨と思われる物を拾い、友達と鬼ごっこをして、遊んでいた記憶があるのですが、今から思うと・・ゾッ・・とする事を何下にしていたんだと思います。

本当に人の骨だったかもしれませんね

あれはどうしたんだろうな・・

多分、遊ぶ終わった時にポイッ・・と木の枝を投げる用に、竹藪かどこかに投げ放したのだろうなぁぁぁ

 

南無阿弥陀仏・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

このアーカイブについて

このページには、2010年11月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2010年10月22日です。

次のアーカイブは2010年12月26日です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

MovableType(MT) 4.1 テンプレート 無料(フリー)
Powered by Movable Type 4.21-ja