前回に続いて、京都の事をお話します。
京都観光と言えば清水寺が候補に上がってくるのですが、実はこの場所は昔は恐ろしい場所だっただそうです。
清水の舞台の下あたりは、昔は鳥部野という名称地で、平安時代頃に人が死ぬとこの場所
にうち捨てられたり(風葬)、死体を木に吊して、その肉を鳥に食わせたり(鳥葬)する場所から
この名称で呼ばれたそうです。
常に死臭が漂う為、清水の舞台は高く作られた・・とか・・
ちなみに、「清水の舞台から飛び降りる・・」とは、昔、何かの事情で、生きるか死ぬかで迷った人が、本当にこの舞台から飛び降りて、生きて頑張るか・・死ぬか・・
人生の振るいにかけた場所であるため、この言葉が残ったと言われております。
また、平安京時代は貴族が住んでいる町とは、御所を中心とした比較的狭い町だったそうです。
今の北区、東山区、南区、右京区などは野原、田圃、山、池、・・ばかりで、争いや死刑などで人が死ぬと、ポイッとその野原に捨てるのが普通だったそうで、当時は無数の死体が、野ざらし状態で放置されていたと言われております。
先程の鳥部野もそうですが、蓮台野・紫野・化野・・と言った野が付く地名は、大体がその風習の名残と言われております。
また、三条河原とかは常に死体が流れ着いてきたり、晒し首や処刑が頻繁にあった場所の為、掘ると何か出てくるかも・・と言われております。
市内を流れる川は、所々で処刑が行われて、川の水で刀を洗っていたらしいです。
今では春になると川沿いに桜の木の行列が見事となりますが、その木の下には・・・沢山の・・・
そういう場所を何下に掘ると、何かしら出てくるかも知れませんね
昔、こどもの頃に嵯峨野の竹藪みたいな場所で、骨と思われる物を拾い、友達と鬼ごっこをして、遊んでいた記憶があるのですが、今から思うと・・ゾッ・・とする事を何下にしていたんだと思います。
本当に人の骨だったかもしれませんね
あれはどうしたんだろうな・・
多分、遊ぶ終わった時にポイッ・・と木の枝を投げる用に、竹藪かどこかに投げ放したのだろうなぁぁぁ
南無阿弥陀仏・・・・
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