京都市北区上賀茂の歴史
上賀茂には、縄文後期と推定されている上賀茂遺跡(上賀茂本山町)や、古墳時代後期のケシ山古墳群があり、京都でも早くから人の住む地でした。
上賀茂神社は、大和(奈良県)から移住したとされるカモ氏により氏神として奉られていましたが、平安京遷都(794年)とともに、伊勢神宮につぐ地位を与えられ大きく発展し、
地域の歴史も上賀茂神社とともに語られます。
上賀茂村は、上賀茂神社に奉仕する氏人が、神社南の社家町一帯に集まって住んだものから発展したともされてます。
平安時代には、地域の不動産に関して、往来田という制度がありました。
これは一定の資格を持つ氏人140人に対し、神社から土地(田)が貸し与えられる土地給付制度で、近隣の5つの郷へ1反(約300坪)づつ与えられました。
江戸時代前期には人口2,800人という記録も残っており、京都近郊でも1・2を争う大きな集落でした。
地域の名産品である京野菜「すぐき」は江戸時代中期頃にはすでに栽培されていたようです。
その後大正7年には上京区に、昭和30年に北区に編入され、現在の上賀茂に至っています。
『史料 京都の歴史』より
京都市北区上賀茂の地名の由来
上賀茂神社(賀茂別雷神社かもわけいかづちじんじゃ)を中心として広がる地域で、地名も神社名に由来する。上賀茂神社のカモは、大和(奈良)より移住したとされているカモ氏に由来するともいわれます。『京都の地名由来辞典』より