左京区 岩倉(岩倉南小学校区)
[学区]
岩倉南小学校区
[地域]
京都市左京区岩倉(南部)
「岩倉(宝ヶ池)」の不動産特集ページです。
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岩倉(岩倉南小学校区)の不動産情報
京都市左京区 岩倉の新築戸建
岩倉幡枝町
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岩倉幡枝町
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岩倉幡枝町
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岩倉幡枝町
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岩倉南池田町
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岩倉幡枝町
4,680
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岩倉幡枝町
4,780
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岩倉南池田町
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岩倉南池田町
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岩倉南池田町
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岩倉幡枝町
5,398
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岩倉幡枝町
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岩倉幡枝町
5,580
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岩倉幡枝町
5,598
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岩倉幡枝町
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岩倉幡枝町
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岩倉三宅町
5,980
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京都市左京区岩倉の地域紹介
お買物
- ライフ 宝ヶ池店
- 京都信用金庫 岩倉支店・京都市バス岩倉操車場の南側
AM9:30-PM8:00
- スーパーいおり
- 京都信用金庫 岩倉支店・京都市バス岩倉操車場の西側
- Aコープ京都中央
- 叡山電鉄「岩倉駅」より北へ歩4分
- スーパー エムジー岩倉店
- 京都岩倉郵便局北側
AM9:30-PM10:00
- 京都生協コープ岩倉店
- 京都市左京区役所岩倉出張所より北へ歩1分
AM10:00-PM8:00 サマータイム時はPM9:00迄
病院
- 洛陽病院
- 【総合病院】整形外科・リウマチ科・リハビリテ-ション科・外科・肛門科・循環器科・消化器科・呼吸器科・神経内科・アレルギー科・内科・放射線科
- 比叡病院
- 【総合病院】内科・外科・整形外科・胃腸科・小児科・皮膚科・泌尿器科・肛門科・放射線科
教育施設
- 京都市立岩倉南小学校
- 京都市左京区岩倉下在地町
同志社高校の西側 岩倉側沿いに位置します
- 同志社小学校
- 同志社高校の北側
2006年4月開校
- 京都市立洛北中学校
- 叡山電鉄「岩倉駅」南側
- 京都府立北稜高等学校
- 叡山電鉄「木野駅」より歩3分
- 同志社高校
- 地下鉄「国際会館駅」北
- 精華大学
- 叡山電鉄「京都精華大学前駅」下車
芸術・デザイン・建築・漫画などの学部・学科
一般利用できる(有料)図書館は芸術関係の書籍が充実
文化施設・自然環境など
- 京都国際会館
- 宝ヶ池に面した国立コンベンションセンター 国際会議をはじめとして、シンポジウム、学会、展示会、レセプションなどに対応
- 田園風景
- 区画の整った岩倉南小学校周辺でも田畑が多く、季節ごとに美しい景観を見せてくれます。
- 区画整理
- 現在洛北第二地区・洛北第三地区が施工中です。一条山~北稜高校~岩倉自動車教習所一帯の洛北第三地区は道路・公園の整備などがこれから行われる段階で、新しく誕生する町には近年少しづつ住宅が増え始めています。
- 円通寺
- 比叡山の借景が有名
岩倉自動車教習所より西へ
- 宝ヶ池・宝ヶ池公園
- 国際会館南に位置します。ジョギング・ウォーキングコースとして多くの方が利用しています。ボート、野鳥の森など
- 宝ヶ池子供の楽園
- 宝ヶ池公園の東にある、こどもの遊び場。トランポリンや迷路、アスレチックなど
- 宝ヶ池の花火
- 季節に関係無く突然上がる花火 宝ヶ池方面で上がるので岩倉からは綺麗に眺めることができます。
- 岩倉自動車教習所
- 京都バス「自動車教習所前停」すぐ
宝ヶ池公園
京都市左京区岩倉の歴史
市内北部の岩倉は、比較的近年まで田畑の景色の残る農村、現在は区画整理も施行中で宅地化が進行中です。
1、縄文時代より前から人が住んでいた!
京都市北部では、北白川台地と上賀茂台地で縄文時代より古い遺跡が見つかっています。
深泥池周辺や、村松テラス造成地でもナイフや矢じりなどの石器が見つかっています。
大昔の京都盆地は大部分が湖の底だったようで、湖の入り江だった岩倉は当時、人の生活できるごく限られた場所の一つだったといわれます。
2、古墳や埴輪(はにわ)も見つかった!
岩倉西南の幡枝、今の岩倉自動車教習所辺りで、大和朝廷時代と思われる古墳がいくつか見つかり、埴輪や鉄の刀、銅の腕輪、鏡、玉などが見つかっています。
岩倉にも渡来人の進んだ文化が伝わっていました。
3、かわらの名産地!
また幡枝付近では、窯(かま)も見つかっています。
ねん土の多い地質で、飛鳥時代ごろからかわら造りが始まりました。その後、大量生産や、須恵器(すえき)という硬い土器の製法も伝わり、かわらの生産が主となっていました。
後に平安京という都の造営にも多く使われたといわれます。
4、岩倉全域がたんぼに
飛鳥時代には、律令制度という、中国を手本とした政治の仕組みが伝わりました。
土地が碁盤の目に区分けされ、戸籍が作られ、人々には田が割り当てられ、税をとられることが始まります。
5、西の坂本
平安時代には仏教が栄え、大雲寺などの寺がつくられました。
比叡山と同じ天台宗の寺院が多く、比叡山延暦寺の里の寺が建ち並ぶ「坂本」に対し、西の坂本といわれたほど栄えたといいます。
6、実相院
実相院は元々上京区にあり、天皇家や貴族の子どもが住む、門跡寺院でした。応仁の乱の当時、その戦火を逃れ、大雲寺の境内に引っ越してきました。天皇家や貴族、名門の武士とつながりが深かったため、実相院には今も多くの重要な文化財が残されています。
7、岩倉の城
岩倉には、小倉山城、大雲寺城、長谷城、花園城がありました。
天守閣や石垣を持つ雄大な「城」というよりも、「とりで」に近いものだったようです。
鎌倉時代に、牛馬を使う農法が広まり、室町時代には庶民も開墾をするようになっていきました。そうして力をつけた土豪をリーダーとして、人々は村の掟をつくり自治を行うようなり、領主である貴族や社寺に年貢をしだいに納めなくなっていきました。
誰の保護も得られなくなった農民や土豪は、自衛のため、村の近くに城を築き、敵が来たときはそこへ逃げ込んだといわれます。
8、木野のかわらけ
江戸時代、木野では「かわらけ」という素焼きの皿を生産していました。ねん土を手の平とひじだけで丸くのばして焼いたもので、庶民に用いられていました。
江戸時代末期には陶器や磁器が広まり、かわらけの生産量は減ったとされていますが、それでも明治38年には年間40万枚も生産していたといわれます。
9、岩倉具視(いわくらともみ)
岩倉具視は幼少時代を岩倉で過ごし、その後政治の世界に入りましが、京の町を追放され、再び岩倉に戻ってきました。当時住んでいたと言われる家は、今も残っています。
岩倉に暮らしながらも世界の情報を集め、その後の明治の新政府の中では、中心的人物として活躍していきました。
10、住宅地へと変わる岩倉
明治6年、日本で最も古い小学校のひとつとして岩倉小学校が開校しました。
昭和38年に宝ヶ池通ができ、昭和41年に国際会議場ができました。
その後、昭和44年以降、団地が増え、人も増えていきます。
昭和44年に岩倉団地
昭和45年に長谷団地
昭和47年に村松中層団地
昭和49年に村松テラスハウス
その後、スーパーや商店も増え、バスなどの交通も便利になっていきました。
昭和53年 洛北第二土地区画整理 施行スタート
平成7年 洛北第三土地区画整理 施行スタート
平成9年 地下鉄烏丸線 国際会館駅まで開通
区画整理は今も進行中です。
クリックすると昔の地図を拡大表示します。
参考 『わたしたちの岩倉』
地名の由来
岩倉の地名は、山住神社(やまずみじんじゃ)の祭神である巨石が示すように磐座(いわくら)信仰によるとも、平安京を造営した際に、王城鎮護のため四方の山に岩蔵を作り一切経を納めたことによるともいわれます。『京都の地名由来辞典』より
※地域情報内の分数表示(主要な施設・駅から徒歩でかかる時間)はすべて「約」となります。
また、80mを1分で計算しております。