8月16日 大文字五山の送り火
仕事だったので急いで高野付近まで帰り、消えかけではありましたが、何とか今年もギリギリ故人を見送る事が出来ました。
昔は殆ど考えた事が無かったのですが、今ではこういう昔からの風習には、気持ちが何故か入ります。
余談ですが、この大文字の五山送り火も謎だらけの風習だそうです。
いつから始まったかも定かでは無く、一説では五山の中心である大文字は、昔から浄土寺の人が執り行ったそうで、この浄土寺の有る浄土村が弘法大師のゆかりの地であった事もあり、名前の一文字が大となった説 または足利義政説など色々ありますが確定した答えとはなっていないそうです。
どちらにせよ「祖先が黄泉の国へと帰る道標」という意味で見守る人が殆どだという事です。
いつか私も亡くなった時は、京の夜空をフワフワ(ウロチョロ)しているだろうから 送り火が目印になる感じは納得出来ます。
昔ながらという意味では、とある記事で書かれていたのですが、子供の頃から慣れ親しんでいた 日本の童謡。
一部の童謡は、本当は悲しく怖い意味が隠されているそうです。
例えば
「シャボン玉」
・・・シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ ・・・
( 作者の長女が、生まれてわずか八日目での訃報に儚い命をシャボン玉になぞらえて唄ったものだとか・・・親の切ない想いが込められた曲だそうです )
「赤い靴」
・・・赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに連れられて・・・
(主人公の少女は、アメリカ人宣教師夫婦の養女となり、渡米するはずでした。しかしその後すぐ結核に侵され、孤児院に預けられてそのまま亡くなったそうです。 実の母親はそれを知らず、自分が死ぬまで娘は元気にアメリカで暮らしていると信じていたという哀しい話です )
「てるてる坊主」
・・・てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ・・・
軒下に吊すてるてる坊主は、中国の伝説上の人物である「晴娘」がモチーフと言われており、雨乞いをする祈祷師と認識されているようです。 成功すれば金の鈴や甘いお酒などでもてなされますが、失敗すると首をチョン切られてしまいます。 首を吊すという事がなんとなく納得してしまう意味です。
他にも「指切りげんまん」 「かごめ かごめ」 「とおりゃんせ」 等々・・・
意味が有る歌だからこそ、何気に唄い、永く子供からまたその子供へと語り継がれてくるのでしょう
しかし、メロディーが愛らしい感じだからこそ子供に歌えますが、この歌詞の意味を考えながら暗い低音のメロディーでは、多分語り継がれなかったでしょうね。
合掌
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