元○○学区という表記が、当社ホームページの学区一覧にあります。
学区一覧
これは字の通りで、近年の統合をする前の学校の事ですが、実はもう少し違った意味もあるのです。
明治時代になってすぐに、京都では64の小学校が作られました。
この時の地域区分が、現在の学区とは異なりますが、現在も地域の単位として使われています。
これが「元学区」ですが、ではそれは当時どういうものだったのでしょうか?
明治維新の後、初期の学校は地域住民が出資し、建物を建て、運営していました。
当時の学区(元学区)は「番組」という行政区分で、学校は番組毎に建てられました。
元学区は地域の暮らしと密接に関係していて、学校の建物には、防犯や防災の拠点や、寄り合い所なども併設されていました。
なお、当時の教育には、禁門の変で多くが焼け野原となり、また天皇や公家のいなくなった、京都を復興させるという使命が課せられていました。
住民が参加し、地域ぐるみでの教育が行われ、学校と地域は強く結びついていきました。
というわけで、現在は行政上の区分ではないものの、また多くの学校は統廃合により残っていないものの、今も元学区単位で運動会や夏祭り等が行われたり、国勢調査、市民しんぶんの配布などに活用されています。
ちなみに京都の三大祭の一つの時代祭は、元学区単位で交代で維持・運営されています。
参考
『京都学校物語』(京都通信社)
wikipedea
等